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2008年9月13日 (土)

とある男の生涯

大正12年(1923年)関東大震災があったその年に、震源地からはるか彼方、
鹿児島県に属する小さな離島にてその男はこの世に生を受けた。


その男の出生について詳細を語れる者はいない。

わかっているのは、彼の傍らにはいつも母しかいなかったということだけ。
妾の子だという話もある。

とにかく彼は、父は誰なのか、どんな人か、兄弟姉妹はいるのか、知ることもないまま
ひっそりと小さな南の島で、幼少期を過ごした。


そもそも望まれて生まれてきた子だったのだろうか。

彼の薄い瞳や南国出身者に相応しくない真っ白な肌、彫りの深い整った顔立ちは混血独特のような感を受ける。

出世の秘密が明かされない理由はここにもあるのだろうか?



彼の唯一の肉親であり出生の詳細を知る母親は、彼が結婚して間もなく亡くなった。
臨終間際、母親は、彼の妻となった若い娘に

「この子とだけは別れんといて下さい!」

と身寄りのない彼の境遇を心配して、そればかりを涙を流しながら繰り返し懇願していたという。


彼の妻は、彼と何かあるたびにこの懇願を思い出し自らを奮い立たせたと回想している。


この最期の懇願からしても、この時代に閉鎖的な島で、彼はどういう視線の中で育ってきたのか容易に想像することができる。肩身の狭い思いを随分味わったのではないか。


時は経て昭和37年。世は高度成長期を迎えていた。
彼は、職を求めて生まれ育った島を去る決意をする。既に3人の子宝に恵まれていた。
移住先は大阪府。

小学生になっていた3人の子供達はこのとき初めて島から海を渡ったのだそうだ。
生活のために、慣れない都会暮らしへ。かなりの苦労を味わったと聞く。


それでもしっかり3人の子を育て上げ、自らの父が果たしていない父の役割を
担いきったのだった。


晩年は子供たちからプレゼントされたマンションで、平凡ながらも
穏やかな暮らしを手に入れた。

自室から見渡せる生駒山脈を眺めながら、彼は自分の生涯をどう思っていただろう。
彼は本土移住後、島を訪れたのはたったの1回だった。
帰りたくなかったのか、帰ることができなかったのか。


もともと物静かな彼は、生涯自分の出生について何一つ子や孫に述べることはなかった。
そして、私たちも何も聞かなかった。

なぜなら、彼は盆や正月に子供や孫が集まれば彼はすぐさま涙をにじませた。
酒が進めば
「こんなにたくさん家族がいる」
といった内容をつぶやき、号泣した。
孫である私が、新しく家族になった夫を紹介しに訪問したときも
声を詰まらせ涙が止まらなくなった。


そんな姿をみて、何を聞けるというのか。


幸い、晩年はいつでも近くに子供や孫がいる賑やかな環境で、臨終も子や妻に見守られながらとなった。幼少時代に寂しい思いをした分は、この辺りで少しは
取り返せただろうか。


平成20年9月12日、寡黙な祖父らしく、静かに人生の幕を下ろした。



今日は祖父を偲んで、生きた証を残しておきたくて書かせて頂きました。

明日はお葬式です。
もちろんみんな集まって祖父を見送ります!

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コメント

大勢のご家族に囲まれた賑やかな晩年を過ごされて、
おじいさまもさぞ喜んでいらしたことでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。

投稿: ジュン | 2008年9月14日 (日) 00時38分

終わりよければ全て良し・・・
一生幸せに越したことはないけれど
幸せに感謝できるから 晩年が幸せな方がいいですね

>「この子とだけは別れんといて下さい!」
って言い残したお母さんの気持に終生守られたんですね

投稿: IT | 2008年9月14日 (日) 01時52分

おじいさまのご冥福をお祈りいたします。
若い頃に苦労された分、あこあこまんさん達のようなすてきなご家族に囲まれる晩年をすごされたのですね。
これからは天国から、あこあこまんさん達の幸せをしっかり見守ってくださると思います。

投稿: Satch | 2008年9月14日 (日) 12時46分

おいたちのご苦労から 激動の時代を生き抜いたおじいさまだったんですね。
きっと天国でも幸せな毎日をお暮らしになられるでしょうね。
心よりご冥福をお祈りいたします。

投稿: はなえみ | 2008年9月14日 (日) 13時58分

昨日14日、86歳で生涯を閉じた父の四十九日を済ませました。父は大正11年でしたから、あこさんのお祖父さんは一つ下ですね。
周りの人は『長生きされましたねぇ、、』などと言われますが、遠く離れて暮らしていた息子としては、若い時の父親しか思い出せない訳で、とても割り切ることは出来ないでいます。
本日15日は敬老の日です。3年以上寝たきりの母が入院する病院へ、今から出かけるつもりです。
頑張りましょうね。

投稿: 一級能書士 | 2008年9月15日 (月) 11時50分

ジュンさん>

ありがとうございます。
お葬式も座りきれないくらい人が集まってきてくれて
孫の私もとっても嬉しかったです。

ITさん>

ありがとうございます。
そうですね、最後、介護疲れしていた妻である祖母に
「あんまり無理して共倒れしたらいかんよ」
と声かけたら
「最後まであたしがみようと思てんねん」
って決意を述べてました。義母との約束があったからだと思います

SATCHさん>

ありがとうございます!
極めて善良は祖父でしたので(もう一方の祖父は対して不良でしたがw)ものすごく早く成仏し、遠くに行ってしまうような気もしてまたそれが
寂しく思ったりもするのですが
空見守ってくれますよね・・・

投稿: あこあこまん | 2008年9月17日 (水) 21時53分

はなえみさん>

ありがとうございます。
辛抱強い祖父でもありました。ガンだったんですけど
なかなか痛いって言わなかったみたい。
苦労人だからかな。
でも最後はご褒美なのかすーっと安らかに逝けたみたいです。

一級能書士さん>

本当におっしゃるとおりで最初は
「年だし仕方ないね」なんて思ってたんですが、いなくなってみて
やっぱりもっともっと生きていて欲しかったし
在りし日の元気な祖父が思い浮かんできて寂しくなります。
85歳、まだ若かったな・・・見た目も髪がふさふさのせいか若かったし。残念。

能書士さんのお母さんが、お父さんの分まで長生きでありますように。


投稿: あこあこまん | 2008年9月17日 (水) 22時03分

心を打たれました。
私の父とだぶる所があります。(父は生きていますが・・・糖尿病のくせに隠れてまんじゅうを食べているタイプですが・・・)

違う所は、お祖父様はお母様に愛されていた所と、辛抱強い所です。
息子のいる私としては「別れんといて下さい!」部分で涙がっっ。
お母様(あこさんからはひいお祖母様)は晩年のお祖父様を空から見て、さぞかし安心なさってたでしょうね。
お嫁さんにも感謝で一杯なんだろうなぁと想像してしまいました。

辛抱強い、これぞ男の中の男ですね。

ご冥福をお祈り致します。

投稿: ゆっこ | 2008年9月18日 (木) 23時52分

ゆっこさん>

>これぞ男の中の男ですね。

ありがとうございます。褒めて頂けてとても嬉しいです。
祖母が、亡骸に向かって何度も何度も
「お母さんとこ行きや お母さんとこ行くんやで」
と話しかけていました。本当にずっと亡き義理母のことを
気にかけていたんだなーと。

うちの義理父(旦那の父)も心筋梗塞を2回やって後がなく食事制限があるのに、義理母に隠れて甘いおやつを食べているようです。
義理母がカンカンになっていましたw

投稿: あこあこまん | 2008年9月19日 (金) 13時13分

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